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日本の街がキレイなのは心にゴミを溜め込んでいるから

うちの会社で最近よくモラル・マナーを改善しようという動きがある。

ルールはできるだけつくりたくないから全員の善意に任せたいという意図だ。

 

そんな中ふと「日本人」はモラルとマナーがよろしい、ということについて考えてみた。

 

 

海外に行くとわかるけど、日本の街は基本的に超きれい。

電車も静か(大阪を除く)だし、挨拶とか接客のレベルも高い(と感じる)。

それはよいことだとされているし、海外の人からも評価されていると思う。

 

電車で喋るのはいいけど電話はダメとか、ポイ捨てはしないとかトイレはキレイに使うとか。

もっというと名刺は相手より下に出すとか上座とか下座とか礼儀の部分も入ってくるかな。

 

でもこれ、たまにすごく「息苦しい」と感じることがある。

 

例えば電車でシルバーシートに座っていた若い男の人がいた。

目の前にはおばあちゃん。当然、周りからは冷たい目。

「変わりましょうか」そう言ったのは隣のおじいさんだった。

その若い男の人はバツが悪そうだったがそこに座り続けた。

周りはため息混じりの目で男を見ていた。

 

ある駅で彼は降りた。その瞬間にみんなハッとした。

その人は左足を引きずっていた。座っていたからわからなかった。

怪我なのか、障害なのかわからない。

けど彼は間違いなく優先されて座るべき人だった。

彼はどんな気持ちだったんだろう。

 

 

とあるバンドの話。

最初は売れなかったが徐々に売れてきてライブも盛況。

ファンは元気な若い子が多くモッシュやダイブしまくり。

それをよく思っていない一部のファンがバンドに手紙を送った。

「怪我をした。もうあんな危険な状態のライブは行きたくない。できればモッシュやダイブを規制してほしい。」

バンドメンバー達は確かにケガはまずい。規制しよう、ということでそういう行為を禁止した。

ライブは随分安全になった。静かになった。

一部のファンは大喜びだった。一部のファンはがっかりしてライブに行くのをやめた。

そんな中、バンドにまた一通手紙が届いた。

「私は背が小さい。みんなのことがよく見えないので、入場を背の順にしてほしい」

バンドメンバーは困ってしまった。

 

 

 

クリーンな状態を作り上げるには、無数の人の無数の小さな我慢や努力が積み重なっている。

別にそれは悪いことじゃない。むしろ美しい。

だけど、それは強制されるべきなのだろうか。

日本の美の裏側には、いろんな犠牲があるんじゃないだろうか。

 

 

疲れていてもキレイな身なりを求められる。

ヤケになりそうな日も電車ではおとなしくしないといけない。

どうにでもなれ、と空き缶を投げ飛ばしたい時だってあるのにゴミ箱を探す。

 

常にそういうことが強いられる世の中に見えてしまう。

世の中は思ったよりはいいものだけど、見えている以上に酷いものなんだ。