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自分は努力しなくても優秀であると思っていた男の話

ふと自分の昔を思い出したので

少し振り返ってみようと思う。

 

自分は保育園の頃から公文式をやっていて同級生と比べれば頭がよかったし、

体の成長も早かったのでスポーツもできた。背も高かったし。

ただ、全然モテなかった。びっくりするくらい。

まぁその話はいいんだけど、、

 

中学校に入ってから状況が変わった。

保育園からしてきた勉強の貯金が尽き、成績はTOP10から一気に下層へ。

スポーツもみんなの体が成長してきたこともあって追いつかれて、

多分それにプライドが耐えられなくて部活もやめた。

全身にニキビができるようになって見た目もひどくなり、

ついに陰口や悪口をいたるところで言われるようになっていた。

(ちなみに私立中学だったので暴力とかのいじめはなかった)

当時仲が良かった男友達にも信じられない裏切り方をされて、

もうなんだこれ、一体どうすりゃいんだという状況だった。

 

今ふりかえると、努力なんてしなくても最初はうまくいってたから

俺は努力しなくても周りより優秀なんだと勘違いしていた。

周りが追いついてきた時にプライドが目隠しをして、

周りが全部悪いんだと思い込んでやり過ごしていた。

 

 

 

 

そして、信じられないことにそれを10年も引きずっている。

自分では認めたく無いが、俺は全然努力をしない。

きっとどこかで努力をしなくても俺はうまくいくと思っているんだろう。

 

社会人になってからというもの、

よく「セルフイメージが高い」とか「プライドが高い」とか言われる。

それは努力しなくてもうまくやれる自分をイメージしてるからなのかもしれない。

本当に情けない話だが、言われて頭ではわかっていてもどこかで認めていない自分が居る。

 

 

 

いま、俺は今の自分を認めてからスタートしないといけないと思っている。

努力しなくてもいけるだろと思っている自分、

努力しない限り何もできるようにはならない普通の自分、

周りよりも決してポテンシャルが優れているわけでは無い自分、

今まで持っていた優秀な自分像を捨てなくてはいけない。

 

 

何故ならその高すぎる自分を基準にしてもイイコトなんて1つもないからだ。

例えば仕事でミスをしても「ミスなんてしない自分」がしてしまったショックと

「ミスくらいする自分」がしてしまったショックはまるで違う。

受け止め方も違うし、後者のほうが次に活かせる反省をするはずだ。

何より精神衛生上後者のほうが絶対にいい。

 

まだまだ頭ではわかっていても心が抵抗している。

まさに「自分と向き合う」とはこういうことなのかもしれない。

誰にでも目を背けたくなるような物事がすぐそばにまとわりついているはずだ。

いきなり真正面から向き合えば潰れる。だから少しずつ、

少しずつ逃げながらも近づいていってみる。

 

 

自分は心が軟弱なのでこういう戦法しかとれない。

いつか自信タップリのイケてるおっさんになりたいもんだ。